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超ラクラク!簡単・使えるスペイン語☆

超ラクラク!簡単・使えるスペイン語☆

ドミニカ共和国 ~自給自足が出来る国!?

これまで色んな国を旅行しましたが、ドミニカ共和国での滞在経験ほどインパクトの強いものはありませんでした。

なかなか個人では旅行することのない国、ドミニカ共和国ってどんな所なのか、私なりにご紹介していこうと思います。


<きっかけは友達のボランティア滞在>

実はドミニカ共和国っていう国の存在すら、よく知らなかった私ですが、野球ファンの間では意外と知られている国のようですね。ド

ミニカ人の方でも、日本は野球が強いということで有名なようで、現地でプロ野球のことを聞かれました。

そんなほとんど存在感の無かった国へどうして旅行に行ったのかと言えば、それは大学時代にお世話になった先輩が、海外青年協力隊員としてドミニカ共和国に2年間滞在するということになったからです。

現地に知り合いがいる時でなければ、先進国とは言えないような中米の国へと女性一人で旅行に行くなんて普通は出来ません。

それに、ちょうどスペイン語の勉強を始めたばかりだった私は、スペイン語を話す国に行けるということもあり、こんなチャンスを逃すものか!と、飛び立ったのです。

ドミニカ共和国へ行くためには、アメリカのどこかの都市で乗り継ぎをしなければならないのですが、ちょうどその頃、別の大学時代の友達が、フロリダ州ネイプルズという街でインターンシップとして働いていたのです。

で、ついでにというか、そちらを訪問した後でドミニカ入りしようと目論見ました。

その頃はまだ英語のスピーキングに関しては、ほとんど勉強したことがなく、アメリカに行くのも超ドキドキでした。

そして実際、日本人の友達以外とは、あまりうまく意思疎通が出来ずに悔しい思いをしました。

乗り継ぎのマイアミ空港でも、受付の係員に「一泊するホテルを探しているので紹介して欲しい」と、お願いしましたが、冷たくあしらわれたのを覚えています。

それでも、何とか頑張って色んな人とコミュニケーションしましたし、スーパーの店員さんやタクシーの運転手さんはしきりに話しかけてくれて、何を言っているか分からないけど楽しそうだわ♪と言う感じで面白かったし、アメリカ人て気さくだな~と思いました。

でもやっぱり、ちゃんと会話が出来たら、もっともっと楽しかったのに!と悔やまれます。

結局そのアメリカ滞在が、英語をちゃんと勉強する!と決意したきっかけとなったので、悔しい思いをしたことは良かったのですけどね。

ということで、まったく未知の国、ドミニカ共和国へといよいよ入国です。



<現地の家庭にホームステイ>

さてさて、盛り沢山なアメリカ滞在の後、さらに盛り沢山なドミニカ滞在の始まりです。

空港まで先輩が迎えに来てくれて、中心部のホテルに1泊し、次の日そこから乗り合いタクシーに乗って、先輩がホームステイをしているご家庭へと行ったのですが、もうそこで既にカルチャーショック!

まず、文字通り、初めて出会う人種の人々。(黒人さん達の国です。正しくは混血ですが。)

そして彼らは、言葉も分からないのに、すぐに話しかけてくる。

道で呼び止めて、なぜか食べ物をくれる。

結婚してるの?とすぐに聞いてくる。

もう普通に、日本だったら子供達に「知らない人と話しちゃダメよ。」とか言ってるお母さんも、常識が180度変わるような開放的な空気とお気楽さです。

乗り合いタクシーだってかなりアバウト。

でもこれ、タクシーのようなバスのような不思議な乗り物。

行きたい方向をあらわす手のサインを出しながら道端に立っていると、その方向に行くタクシーが止まります。

中には先客あり。それぞれのお客さんは、自分が下りたい場所で下りていくのです。

空いた座席には、また途中で別の人が乗ったり乗らなかったり。わー!混乱!

初心者は、各々のタクシーがどっちの方向に行くのかが分からない。

タクシーと言っても、どこにでも行ってくれるわけじゃない。(先客もいるので)

手のサインもよく分からないし、複雑~。

こんなの住んでる人と一緒じゃなきゃ絶対に乗れないので、先輩がいてくれて本当に良かったです♪

向かったのは電気も通っていないような山の中。先輩がボランティアで野菜の栽培を指導しているコミュニティがある場所です。

昼間は先輩のホームステイ先の現地ご家庭でご飯などを食べさせてもらい、寝る時だけボランティア隊員用の施設に泊まらせてもらいました。

食べさせて頂いたご飯は、そのほとんどが芋。でも色んな種類の芋を出してくれます。

あとは豆もよく出ます。

そして、味は全部、塩だけ。

たまに玉子焼きとかチキン焼きとかが入っていて、でもそれは、私がお客様なので特別大サービスの豪華料理だったのだそうです。

あとは、夏みかんみたいなブンタンみたいな柑橘類が沢山実っていて、それは本当に毎日食べ放題でした。

ホームステイ先では、お父さん、お母さん、子ども達(4人くらいだったかな?)が賑やかに暮らしていて、庭には先輩が飼っている豚がいたり、その辺で勝手に自生しているニワトリが残飯を食べに家の中まで入ってきたりと、なんとも長閑な暮らしです。

きっと先輩の普段の頑張りと信頼関係のおかげなのでしょうが、いきなり日本からやってきたわけの分からない小娘にも、毎日食事を食べさせてくれて、おうちで昼寝までさせてくれたり。

みんなとっても良くしてくれました。

最初、肌の色の黒さに、正直ちょっとびびりましたが、ドミニカの人達だって、笑ったり泣いたりしながら日々を営んでいて、家族のあたたかさとか、兄弟喧嘩とか、ほんとに日本とおんなじでした。

毎日たくさん笑って、たくさん食べて、本当に楽しいご家庭でした。



<食べ物は山に取りに行く>

ドミニカでお世話になったご家庭で、すごく衝撃を受けた出来事がありました。

それは、ある日、家のお母さんが

「家に食べ物が無くなったので、明日はみんなで食糧を山に取りに行くよ!」

と号令をかけ、家族みんなで芋や豆などを取りに出かけていったことです。

一日中山で食べ物を採取し、夕方頃に芋や豆などをどっさりと持ち帰ってきたご家族一同。

あ、いつも食べさせてもらっている芋や豆!
みんなで山から取って来ていたとは。

そして、ハッと気がつきます。

そうだよね。この人達、お金を持っていない。と・・・。

一応、お父さんは何かしらで働いているようでしたので、衣料品を買ったりするくらいの少しのお金はあったのかもしれません。

しかし、基本的にはお金がなくても生きていける場所なんだ、ということを実感。

そして、このおうちでは、食べ物はお金で買うものではなく、山に取りに行くものだったのです。

カリブ海に浮かぶ島国であるドミニカ共和国では、一年中勝手に実のなる木には果実が実ります。

お芋も豆も勝手に実ります。

だからこそ、野菜を栽培するなどという発想自体がそもそも無いのです。

さらに、その辺に勝手に自生している鶏が、勝手に残飯を食べて卵を産み、勝手に増えていきます。

それを適当にその辺でつかまえて、さばいて売ってる人とかがいたりします。

すごいアバウト!というか、年中暖かい国というのは、死の危険というものが無いので、放っておくとこんなふうになるんでしょうね。

まあ、全体的にこんなアバウトな感じなので、もちろん日本でいうところの戸籍みたいなものは無いようでした。

結婚制度もあるにはありますけど、本人の意思だけって感じで、届出も何もいらないみたいでした。

もちろん、もうちょっと都会の方でちゃんと大学なんかに通っているドミニカ人もいますから、そういう人達はまた別のカテゴリーに属しているのでしょうが・・・。

こんなのんきなドミニカですが、そんな中でも産業を興し、外貨をどうにかして稼がないことには、様々な物資を輸入することも不可能になりますし、文明から取り残されてしまいます。

ということで、先輩はドミニカ共和国でそのような外貨を稼ぐ産業となるような作物の栽培を指導していたというわけです。

実は、ドミニカ共和国と同じ島半分を分けて存在するのがハイチ共和国。

こちらは旧フランス領ですので、スペイン語ではなくフランス語を話す国です。

ドミニカと違って治安が悪いということでも有名です。

というのも、スペイン人とフランス人の統治方法や国民気質の違いなのでしょうか、二つの国の国民性が正反対といってもいいくらいに異なるのです。

まず、ドミニカ共和国はスペインの統治下にありましたが、統治がズサンだったため、奴隷である黒人たちの多くが山に逃げました。

まあ、あのご家庭の方々はその生き残りなのでしょうが、逃げてそのままのんびりと暮らしていたみたいですね。(笑)

食べ物だってありますし、生きていけたんでしょう。

また、スペイン人は他の南米の国でもやったように、ドミニカにおいても混血化を進めました。

なので、スペイン人と黒人の血が混ざった人達がラテンな文化や気質を引き継いでいったのです。

そして、目だった戦いなどもなく、スペインはなんとな~く撤退。

他のカリブ海の国や地域(キューバやプエルトリコなど)も同じですね。

しかし、フランス統治のハイチ共和国は違いました。

まず、フランス人は決して積極的に黒人とは混ざりあいませんでしたので、現在でもハイチの人はアフリカ人とほぼ同じような見た目を保っています。

そして、統治者と奴隷の立場を厳格に分けました。

奴隷達は酷使され、抑圧された歴史が長かったため、その怒りの感情はまだまだハイチの人達の中に残っている感じがしました。

そして、フランスから独立する際には多くの血が流れました。

何というか、ドミニカに比べると、すごく暗い歴史を持っているんですよね。

まあ、私もかなりアバウトな感じで記憶していますので、興味のある方は、詳しく調べてみてくださいね。

とにかく、ドミニカ共和国ってもしかして、お金がなくても生きていける国?なんかすごい!って思ったのを覚えています。

日本で、特に都会で暮らしていたら、お金が無い=(イコール)死の危機ですから。

世の中、色んな場所があって、色んな社会があるんだなということを、私が身を持って実感した最初の体験となりました。


<馬に乗って山歩き>

また、ドミニカ滞在中の楽しい思いの一つに、子馬に乗って山歩きをしたことがあります。

私は動物が大好きなので、馬に乗れるというだけでも大興奮なのに、一日中好きなところを歩いてきていいよと言われ、馬にのって山道を散策したり、小川を横切ったりと、日本ではなかなか出来ないような体験をさせてもらうことが出来ました。

もちろん、馬に乗るのなんて初めてのことでしたから、乗り方も馬の扱い方も何も分かりません。

なので、知らないドミニカ人のお兄さんがついてきてくれて、案内してくれました。

なんか、皆さん多分、時間がたっぷりあるんでしょうね。延々と一緒に山を歩いてくれたような気がします。

ほんと、ありがとうございました。

そして、山道を歩いている途中、沢山の人に話しかけられ、みんな口を揃えて「これ、もっていきなよ。」と、大量のみかんをくれるんです。

「もう十分あるので、大丈夫!」と何回お断りしたことか。

ドミニカの人達は、とっても気さくで親切です。

その翌日、農園でつながれていた同じ子馬ちゃんに一人で乗ってみることに。(結構無謀です。)

その辺にいたドミニカ人の職員さんに乗るのを手伝ってもらって、乗ったはいいのですが、馬は勝手に自分の行きたい方向へ歩き出し、当たり前ですが私の言うことなんて全然聞かない。

その辺に生えている草を食べはじめて、動かなくなってしまいました。

農園の人に助けてもらったから良かったものの、馬というものをまったく分かっていなかったアホな私です。

でも、現代の日本では、馬を簡単に飼うことだって出来ないわけだし、普通に生活の中に溶け込んでいる「馬のいる風景」っていいなぁ、なんて思ったのでした。



<メレンゲを踊る>

それから、ドミニカで忘れてはいけないのがメレンゲです。

サルサやサンバは日本でも結構有名だと思いますが、ドミニカ発祥の音楽・メレンゲも、コアな人達の間では人気のある音楽ジャンルです。

とっても陽気な明るい音楽で、男女ペアになって、軽快なリズムにのって踊ります。

私はそんな音楽があることも知らなかったし、もちろんメレンゲを踊ったこともなかったのですが、滞在先の近くでメレンゲを踊れる場所があり、行ってみることに。

そこで、知らないお兄ちゃんとメレンゲを踊ったのですが、男性のリードさえ上手ければ、意外に踊れてしまうものなんだということが分かりました。

回転する直前に、反対方向に腕を少し振ってくれるんですよね。それが反動になって上手に回れます。

で、右に行ったり左に行ったりも、言葉じゃなくて動きで教えてくれるんです。

ダンスって楽しい!と初めて感じられた瞬間でした。

その後、先輩や他の日本人ボランティア隊員仲間たちと一緒にリゾート地に連れて行ってもらい、そこでもメレンゲを踊ったのですが、その時は日本人と踊りました。

でも、上手く踊れませんでした。(笑)

メレンゲを踊った経験は、後にも先にもその時だけですが、ドミニカの生暖かい空気と土の匂いの中で、軽快な音楽が鳴り響いている光景を今でもよく覚えています。



<怪しい儀式を見る>

ドミニカでの思い出の中で、もう一つ忘れがたいのが、地元の(自称)キリスト教会で行われているミサを見学させてもらった時のことです。

メキシコに住んでいる時にも、ホームステイ先の家族と一緒に、よく日曜のミサに行ったりもしましたが、ドミニカでのそれは、まったくもって別物だったと今でも思います。

まず、そのミサが行われていたのは夜でした。

ドミニカの夜は明かりが少ないので、暗闇の中で集会を行っているのは、それだけでも怪しいのです。

そして、アメリカでも黒人の方々のミサと言えばゴスペルを歌うということで有名ですが、黒人文化が残るドミニカでも、例に漏れず参加者達はゴスペル風の讃美歌を歌いながら、何ともハイテンションな乗りでミサを楽しんでいる風でした。

壇上で説教をする牧師さんも、まるで選挙演説のような押しの強さです。

「神は~~です!」みたいなことを大きな声で叫んで、それを受けて聴衆の「アーメン!!!」と、まるで合いの手のような大きな声が響きます。

「な、なんだかこれは、すごい・・・。」と、ちょっと引き気味で遠巻きに眺めていた私ですが、ミサを行っている広場周辺を良く見ると、キリスト教ではないドミニカの一般地元民たちも、ひやかしでミサを見物しに来ています。

その野次馬たちは、暗闇で私と目が合うと、「君もかい?」とでも言いたげに、にやにやと笑っていました。

しかしもちろん、これは大真面目な正式なキリスト教会ミサであって、ホームステイ先のお母さんもキリスト教徒でしたので、その時そのミサに参加していたのではないかと思います。

先輩が言うには、ドミニカ人でもキリスト教を信仰している人達は真面目で働き者が多いので、良い印象を持っているとのことでしたし、牧師さんが何を言っているかは良く分かりませんでしたが、きっとためになる説教をされていたのでしょうね。

でも、あまりにも私達が思うキリスト教会ミサのイメージとかけ離れ過ぎていました。

牧師さんの説教が最高潮に達した頃には、聴衆達の熱気もすごくて、一部の人達は、まるでアイドルのコンサート会場!?とでもいうくらいの興奮状態です。

そして、その中の一人が、突如おかしなことに!

あまりの高揚感からなのか、それとも本当に何かが彼女に乗り移ったからなのか、その女性の身体が大きく揺れ始め、ひゃ~~~~!!!と物凄い雄たけびをあげて、まるで昔テレビで見たことがあるアフリカのブードゥー教の儀式のような状態に・・・。

思わず、後ろにテレビカメラは回っていないだろうか?と確かめてしまうくらい、本当のことだとはにわかに信じがたい光景でした。

こういうのって、本当にあるものなんですね!

おそらく、キリスト教とは言っても、元々のアフリカ土着の宗教が混ざり合って、ドミニカ独自の形になっているのでしょうね。

びっくりしたけれど、本当に世界は広いんだな~、色々あるんだな~、ということを実感したのでした。



<まとめ>

さてさて、こんなに面白いドミニカ共和国でしたが、このお話は全部、私がまだ20代前半の頃のことです。

ですから、かれこれ20年も前のことになってしまったんですね。(しみじみ・・・)

それだけ時間が過ぎているので、今はもうすっかり変わっているんだろうなとも思います。

これを読んだ方で、現在のドミニカ共和国について知っている方がいたら、是非とも色々と教えて欲しいなと思います。

あんなに長閑だったドミニカでも、やっぱりハイテク化、国際化は進んでいるのでしょうね。

あ、あとちなみに、この時の旅行の体験を元に、スペイン語スピーチコンテストにてスペイン語のスピーチをしたことで、後にメキシコ留学の権利をいただけたということを追記しておきます。

ありがとう!ドミニカ!

いつまでも忘れないよ!


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